覚めた観測

矢澤絵美理

さしあたり唯一言えることは、あの光が確かであったということ。
確かさには存在をすくいあげるような力がある。
私はせめて、それに賭けてみたいと感じる。

私を主軸に置いた、私の言葉での、今回について

私はずっと、私を取り囲むような目線を集め、イメージとしてしか存在していないそれらを言葉にしようとし、それによって世界を更新していく行いをしていた。
卒業制作もそうするつもりだったが、数年を振り返りながら制作を進める中で私はある事に気づかされてしまった。
私が今まで、世界から目線を集めながら言葉にしてきた、残してきた膨大な言葉は、
すべてその時の私が、他人には言わないけれど、言えないけれど、言えずに、抱えていた言葉たちだった。
受動的に撮影する私として、目線を「受け止めている」つもりだったが、それだけでなく、能動的に言葉にする私も、世界から「受け止められていた」のだ。
私が撮影するイメージから、言葉によって更新している世界に支えられて、〈私〉の願いが見えてくる。
他者の存在だけでなく、それらの世界の中に〈私〉が在ることによって、私が成り立っている。
そういう当たり前の関係性を見過ごしていた。



そうして私を考えさせるもの。
私を私たらしめるもの。
あれは何なのだろうか。

今、言葉にするならば、
光のような、あの力。
ただそこにある光。

時に境界をゆらがせるようでありながら、
存在を示し、受け止めるもの、観測をする、覚ますもの。
形容するための言葉はいくらでもあるような。
唯、ありようとして、あまりに確かな光。

(言いたいことでも言うべきことでもなく、言えることとして)
そうして、そこに写る光は確かであったと、
今の私はそれだけは言うことができる。”

矢澤絵美理
2000年生まれ
定時制高校卒業後、桑沢デザイン研究所に入学
人からは「確実に忘却されるもの」を撮っていると言われた

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