遠観スベクシテ褻翫スベカラザル

虞 吉鴻

人に見せない作品

そこには作品があるはずなのに、何もなかった。

人が近寄ると消える、人が見られない、人に見せない作品である。また、距離を取れば段々夜桜が見えるようになり、観客がいない時に一番綺麗な状態になる。

というインタラクションを通して、この作品は「見る」という行為の正当性を問った。

社会一般的に、作品は人に見られること、認められることにより価値が生まれる。すなわち、作品の価値を決めるのは、作者自身でもない、作品自体でもない、見る側である。

さらに、自然界のこと、様々なことに対して、私たちは観ることを通して、物事に価値をつけている。それは、傲慢すぎるのではないだろうか、私はそう思う。

桜が咲くのは人に見せるためではなく、人間が存在しなくても咲く時期が来ると咲く。それと同様に、作品も人に見せるために存在するのではない。自然物と同じように、成長、変化、消滅また自ら再生するプロセスがある。

だが、もしこのプロセスが人に見せるためのものではないとしたら?それは一般的に認められている作品にも言えるのだろうか。

虞 吉鴻

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